台風13号列伝(1)

沖縄の南海上にある台風13号Sinlakuの動きが気になるところですが,忘れたころに登場する「台風××号列伝」,もちろん13号です。歴代の13号の中から今回は1953年の13号Tessを取り上げたいと思います。

とはいうものの,この台風については気象庁のHPに台風第13号 昭和28年(1953年) 9月22日~9月26日として載っていますので,台風そのものものや被害状況についてはそちらを参照してください。

ここでは気象庁のHPには載っていないことを紹介します。

13号が日本に近づいてから,気象庁の進路予想はネコの目のように二転三転しました。とくに上陸が間近となった25日の09時から12時までの間に,「室戸岬から紀伊水道へ」「潮岬から東海地方へ」「やはり紀伊水道へ」「やっばり東海地方へ」というように3回も大きく変わりました。

テスTessといえば,トマス・ハーディの小説『ダーバヴィル家のテス』(Tess of the D’Urbervilles)の主人公で,純情でだまされやすい女性です。しかし13号Tessは性格的には正反対,気象庁をだまし続けたわけです(笑) もしかして,だまされるほうが悪い?

この台風の勢力は,当時としては1945年の枕崎台風に次ぐ戦後2番目のものでした。その割に被害が少なかったのは,大都市を避けて通ったから……ということがあげられます。9月26日付読売新聞に次のようにあります。(送りがななどは原文のまま)

珍らしい“田舎まわり”型

・・・・その通過地点がほとんど大都市をさけていわば“田舎まわり”となったために幸い大都市には予想されたほどの被害をもたらさなかった。

今なら抗議殺到,まずお目にかかれない表現でしょう。

ちなみに,この13号による被害の復旧・復興をめぐる行政のドタバタを描いたルポルタージュ,杉浦明平『台風十三号始末記』(岩波新書)はなかなか面白いです。今も変わっていないでしょう。

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ジェーン台風が招いた鳴尾競輪暴動事件

1950年9月3日に神戸市付近に上陸したジェーン台風は大阪湾に高潮を発生させ,大阪府から兵庫県南東部にかけて大きな被害をもたらしました。

復興資金を調達しようと,9月8日からの兵庫県営鳴尾競輪ジェーン台風災害特別救援レースと名づけられました。

そして第2日目の9日に事件は起きました。

17時40分発走の第11レース,本命の③三滝(=仮名)が発走後300m付近でクランクピンがはずれ競走不能となって着外に去り,⑤-①とはいって11820円の“大穴”となりました。このため,一部が「八百長だ!!」と騒ぎ出しました。

当時は本命が消えて大穴が出ると一部の人間が「八百長だ!!」と騒ぐのはしょっちゅうで,暴動に発展することもとくに珍しくはありませんでした。実際に八百長だったケースもあったので,話は単純ではありません。

このレースで本命だった三滝選手は,前年の4月に名古屋競輪で八百長の疑いをかけられ,半年の出場停止処分を受けていて,この日は復帰戦でした。そういう“前科”があるので,実力的には本命であっても疑いをもっていたファンも少なくなく,どの程度根拠のある話かは知りませんが,当たりとなった⑤-①も本来なら5万円くらいの払い戻しがあってもおかしくない車券だったという話です。

主催者は抗議を無視して配当金の払い戻しと第12レースの車券の発売をはじめたため,約5000人が暴徒と化しました。

その後、元々待機していた消防車がガソリンを抜き取られた上に横倒しにされたり、車券発売窓口が襲撃されるなどした。その上、当時の木造スタンドが放火され全焼、危険なためスタンド内に待機していた車券発売窓口の女性が逃げ遅れて犠牲者が出るなど大惨事へと発展した。
更に、威嚇のため出動した一人の警察官が発砲したところ流れ弾が観客に命中し死亡したことから、より騒ぎが大きくなってしまい収拾がつかなくなり、最終的に駐留米軍も出動するほどの異常事態となってしまった。結果的に、250名もの観客が逮捕された。
Wikipediaより(最終更新 2008年7月15日 (火) 18:32)。なお,“犠牲者が出るなど…”とありますが,流れ弾が当たった観客以外に死者は出ていません。ちなみに,この項に関するWikipediaの記事には間違いが多いです。そもそも日付が間違っているし)

「ジェーン台風災害特別救援レース」ということもあり(?),ジェーン台風の被災者も多く競輪場に来ていました。“射殺”された人も「床下浸水一尺,屋根ガワラはほとんど飛んでしまったという被災者の一人,しかしそれにもめげず四日から勤務先の工場の復旧に働き,八日夜も工場で徹夜,やっと十日から操業できる見込みがついたので九日午後四時ごろから友人四人とともに競輪場に行き,この災難にあったもの」(9月10日付大阪朝日)。

しかし,一方で前夜から不穏な動きもあったようです。偏見も混じっていそうですが。

第一日の八日夜には競輪場の芝生の上で四,五百名のファンがごろ寝して夜を明かした。「家はどうするのだ」という署員(鳴尾署員=引用者注)の質問に対し「家はドロ水の中。帰っても寝るところがなく,往復の電車賃さえ惜しい。家の復旧費かせぎに一か八かだ」血走った目で答えるやけっぱちさに何かぎょっとさせるものを感じたという。(同)

この事件をきっかけに,競輪を廃止せよ( ゚Д゚)ゴルァ!!の声が一気に大きくなりました。しかし結局廃止されなかったところを見ると,当時は自治体の収入源としての役割がかなり大きかったのでしょう。

ちなみにこのころ,キジア台風が硫黄島の南方海上を北北西に進行中で,東日本に接近すると予想されていました。

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樽見京一郎が津軽海峡に投身自殺

樽見京一郎なる人物が津軽海峡に投身自殺したのが今日9月8日だそうです。

これは水上勉の『飢餓海峡』の中での話で,樽見京一郎は架空の人物だと思います。

「だそうです」とか「と思います」とか自信なさげに書いているのは,実はσ(^^;)は『飢餓海峡』を読んだことがないからです。以下はネットからかき集めた『飢餓海峡』のストーリーに基づいて書いたものです。多少の誤りはご容赦ください。映画も混じっているかも知れません。

1947年9月20日,“台風10号”の嵐の中で北海道の岩内で質店一家3人が惨殺される事件が発生。そして大しけの海で青函連絡船「層雲丸」が転覆,530人が犠牲になります。

1947年といえば,カスリーン台風が有名です。この台風による被害の一端については首都を水没から守れ!!~1947年カスリーン台風~をご覧下さい。

カスリーン台風は当時の発表ではこの年11番目の台風ですが,中央気象台的には9番目の台風だったようで,今流にいえば台風9号となります。したがって9月20日の台風10号というのは番号的には合っていますが,北海道を襲ったという事実はありません。

このように,災害を勝手にデッチ上げるとつじつまが合わなくなります(笑)

もちろん,この“台風10号”が1954年の「洞爺丸台風」をモデルにしていることは明らかです。この台風では洞爺丸を含む青函連絡船5隻が沈没,1430人の犠牲者が出ました。また,岩内で大火が発生しています。

どうしてわざわざ1947年にタイムシフトさせたのでしょう? σ(^^;)は原作を読んでいないし読むつもりもないのでよくわかりませんが。

ところで,洞爺丸台風が描かれている作品に三浦綾子『氷点』があります。印象的なのは次のシーンです。

……ふいに近くで女の泣声がした。胃けいれんの女だった。「ドーシマシタ?」宣教師の声は落ちついていた。救命具のひもが切れたと女が泣いた。「ソレハコマリマシタネ。ワタシノヲアゲマス」宣教師は救命具をはずしながら,続けていった。「アナタハ,ワタシヨリワカイ。ニッポンハワカイヒトガ,ツクリアゲルノデス」啓造は思わず宣教師をみた。しかし啓造は救命具を宣教師にゆずる気にはなれなかった。……

この話がそのまま事実だったかどうかはわかりませんが(少なくとも“啓造”は実在の人物ではないし),上前淳一郎『洞爺丸はなぜ沈んだか』や田中正吾『青函連絡船 洞爺丸転覆の謎』などに,沈んでいく船内での3人の宣教師の崇高な振る舞いが紹介されています。このうち,いちばん若かったドナルド・オースが奇跡的に生還しています。

ちなみに,一昨年の11月にテレビ朝日で放送されたドラマ「氷点」では,この場面がまったく無視されていました。この場面がどう描かれるのかにしか興味のなかったσ(^^;)は,もちろんそこでチャンネルを変えました(笑)

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「ととろ」バス停が倒壊

大分県宇目町轟《ととろ》にその名もととろというバス停があります。昔からあったようですが,名前が「ととろ」である上に,雨の中サツキがメイを背負ってお父さんの帰りを待っていた「稲荷前」バス停に雰囲気が似ているというので,有名になりました。

さて,2004年9月7日09時半ごろ,台風18号Songdaが長崎市付近に上陸しました。そしてこの台風18号の強風によって,ととろバス停が吹き倒されてしまいました。

宇目町轟(ととろ)地区の「ととろの里」で、台風18号のため、「ととろ」バス停の待合所が倒壊した。町では建て替えを検討しているが、「ピカピカのバス停にしてもイメージが壊れるし…」と頭を悩ませている。

 「ととろ」バス停は大分バスの現役のバス停。「となりのトトロ」のブームで一躍、有名になり、多くの観光客が訪れるようになった。

 地区の人によると、待合所は五十年ほど前に建てられたもの。今月七日の台風18号で小屋ごと飛ばされ、ひっくり返った状態で数メートル後ろに倒れた。現在、「メイ」と「サツキ」姉妹の看板だけが雨ざらしのまま待合所の跡に立っている。

 待合所は二平方メートル余りの小屋。昔懐かしい雰囲気が売り物だけに、町企画商工課は「新しい材料を使えばすぐにでも建て替えられるのだが…。イメージに合う古材がなかなか見つからず、困っています」と話している。
大分合同新聞

ところが意外に早く,この年の9月17日には復活しました。

ところで,このととろバス停,写真で見る限り,田舎にあるというだけで,アニメの「稲荷前」バス停と似ている感じはσ(^^)的にはまったくしません。そもそもアニメのバス停には“待合所”はありません。もしあったら,サツキは傘を差したままメイを背負っている必要はなく,またトトロも雨の中に立っている必要がなかったわけで,トトロとの出会いも違ったものになっていたでしょう。もっとも,あのデカいトトロがバス停の中で座ってねこバスを待っているという状況は想像できませんが(笑)

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グスタフGustav

グスタフの名前を最近よく耳にしますが,アメリカには興味がないのでハリケーンの話ではありません。

グスタフってどっかで聞いた名前だと思ったら,菊花賞プレストウコウの父ですね。

σ(^^;)的にはプレストウコウよりもノボルトウコウのほうが印象に残っています。

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