今日の東京は強い南風が吹きました。20時までの観測では最大風速10.4m/s,最大瞬間風速19.5m/sです。これが出遅れ春一番なのかフライング・メイストームなのかわかりませんが,競艇だったら制裁もの,競馬だったら調教再審査になるでしょう。
桜もかなり散ったことでしょうねえ。
散る桜といえば,やはり「同期の桜」ですかね。父が予科練だったということもあるかもしれませんが,好き嫌いはともかくとして,私的にはいちばんインパクトの強い歌です。
ただ,父から戦争中の話を直接聞いたことはほとんどありません。軍歌を歌うのを聞いたこともありません。話したくなかったのか,話そうとしても私が聞く耳を持たなかったのか,今となってはわかりませんが。
「同期の桜」は1943年ごろ,戦況の悪化とともに歌われはじめたようですが,原形は西条八十が雑誌「少女倶楽部」の1938年2月号に発表した短編小説「二輪の櫻」の冒頭にある同名の詩です。翌1939年に大村能章によって曲が作られ,「二輪の櫻」(または戦友の唄)としてレコードが発売されました。
「二輪の櫻」は「同期の桜」とメロディーが同じで歌詞もかなり似ています。しかし聞いた感じはかなり違います。「同期の桜」のもつ末期的な悲壮感はありません。
そもそも歌い出しが「♪君と僕とは……」で「♪貴様と俺とは……」ではありません。これだけでもかなりイメージが変わると思います。
これを含めて1番だけ歌詞の違いを挙げると,
s/貴様と俺/君と僕/g;
s/同期の桜/二輪の桜/g;
s/兵学校の庭/部隊の枝/g;
のような感じです。また,「咲いた花なら……」が2番,「血肉分けたる……」が1番と,入れ替わっています。
10年ほど前,図書館で「少女倶楽部」1938年2月号を調べてみました。もともとプチブルのお嬢さま向けの雑誌だったようですが,かなり戦時色が強くなっており,この号には皇軍萬歳銃後の護號という副題がついています。384ページで,値段は3銭5厘。
特別口絵には「銃後の少女を讃ふ」というサトウハチローの詩が載っています。「支那亊變感動美談集」という特集記事もあります。
「二輪の櫻」はこの号のメインアイテムといった感じです。冒頭に件の詩が載っています。(現物は2色刷)
レコード版「二輪の櫻」とはかなり違います。レコード版は3番までなのに対し,4番まであります。
しかも3番が……何これ(笑)
君と僕とは二輪のさくら,
共に皇国《みくに》のために咲く,
昼は並んで,夜は抱き合うて,
弾丸《たま》の衾で結ぶ夢。
どう見ても腐女子のかたがたが喜びそうなやおいまたはBLの世界ですよ(笑) 挿絵の吉屋信子的世界なイメージとはまるで真逆です。
あるSNSで紹介したところ
>弾丸《たま》の衾で結ぶ夢。
も・・・妄想バリバリです・・・・
ってコメントをある女性にいただいたことがあります。
やおいやBLではありませんが,「支那亊變感動美談集」にある「前線勇士へ「光」」という話など今の感覚ではかなりアブナイ話です。まあ,今の感覚では理解できないこともあると思うので,これ以上とやかくいうのはやめておきます。
さて,小説の「二輪の櫻」ですが,字数の少ない15ページほどの短いお話です。詩は劇中歌的な存在で,内容的にほとんど関係ありません。
マッチ箱のやうな小さな家が並んでゐる本所の裏町。その一軒の見るも侘しい四畳半で,ひとりの少女が手紙を書いてゐました。
この少女が主人公,和江さんという名前です。兄は海軍陸戦隊で中国に出征しており,銃後を母親とふたりで守っていました。ところがある日,兄は“名誉の戦死”を遂げてしまいます。和江さんは兄が生前上海の共同租界で知り合った“少女”(和江さんよりは少し年上という設定。明らかに兄とは恋仲だったと思われます)と運命的に出会い,ともに篤志看護婦として出帆していく――という内容です。
他の話を見ても,兄と妹の話が多いです。時代からいって恋人の話にはできなかったのでしょうけれど,ほとんどワンパターンって感じです。
それにしても,“お国のために”働いて“お国のために”戦死した若者の遺族が,こんなビンボーでいいんでしょうかねえ……?