「東の風 雨」といっても,1941年12月8日の朝に本来なら放送されるはずだった暗号放送ではありません1。1932年4月24日,第1回東京優駿大競走(今の日本ダービー)の日の東京地方の天気予報です。正確には「東よりの風 雨」でした。
レース当日は前日からの雨が降り続いていました。いわゆる北高型の気圧配置になっていて,ぐずついた天気が続いていたようです。中央気象台で前日23日に0.7mm,当日24日に19.4mmの降水が観測されています。
馬場状態は不良(今とは基準が違うようですが),残されている記録映画からもなんとなくドロドロの馬場の雰囲気が伝わってきます。翌日の東京日日新聞によると,
生憎の雨で最悪のコンジションであつたため好記録を得られなかつたのは遺憾であつたが十九頭もの優駿が一團となつてもみ合つた壯觀は全く本邦においてはじめてみるものであつた
多少(かなり?)ヨイショ感のただよう記事ですが(笑)
東京優駿(大)競走はその後もしばらくはなぜか天気に恵まれず(馬場の水はけも悪かったと思われる),良馬場ではじめて行なわれたのは牝馬のヒサトモが勝った第6回でした。
目黒競馬場跡
目黒競馬場の跡地はいまでは住宅地になっており,むかしの面影はほとんどなく,一部に当時のコース跡か外周道路の名残と思われる道路があるほかはバス停「元競馬場前」と記念碑,トウルヌソルの銅像がその歴史をとどめているくらいです。
- バス停元競馬場前
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トウルヌソル像
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第1コーナーあたり
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第2コーナーから向正面
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向正面中ほど
当時の代表的な競馬場,例えば根岸競馬場や池上競馬場などは向正面が直線ではなく,ゆるやかにカーブを描いていました2。これに対し目黒競馬場は今では当たり前の陸上競技場型につくられました。大江志乃夫『明治馬券始末』によると,この形状に対しては当時批判があったそうです。あえてこの形にしたのにはちゃんとした意図があったようなのですが,そのあたりについては『明治馬券始末』をご覧ください。
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第3コーナー手前にあるさくらの里まちかど公園
公園にあるサクラの由来という説明板によると,
このサクラは,目黒競馬場があった当時の樹木だといわれており,平成9年秋,台風の影響により倒木したときも,地元の熱い要望により区が復旧したもので,区民に愛されています。
ここに出てくる台風は,秋ということですから20号でしょうか。1997年の台風といえば7月の9号が有名ですが,それについては雨のバカヤロー!!の8年後 | Notenki Express 2014をご覧ください。
第3コーナーから第4コーナーにかけてはコースの面影はほとんど残っていません。
というわけで,軽く1周してきました。