桜花賞ポイント800mの標識

さあ,桜花賞ポイント800mの標識を何秒で通過するか……

という杉本アナの往年の実況でおなじみ桜花賞前半800mの通過タイム。大昔は47秒台ならば先行馬は残るが,46秒台では先行馬は崩れるといわれていました。たしかに47.1秒で通過したタマミは逃げ切りましたが,46.8秒で行ったダッシュウエーや46.0秒で行ったピニーはつぶれました。っていつの話だ(笑)?

この通過がもっとも速かったのは(以下はラップタイムが残っている1964年以降のデータ),1978年(勝ち馬オヤマテスコ,以下同様)の45.5秒。次は1980年(ハギノトップレディ)と1986年(メジロラモーヌ)の45.7秒。ハギノトップレディは逃げ切り勝ちだったので,これが逃げ切りの最速ラップということになります。(オヤマテスコのレースって忘れようとしても思い出せないんですが,少なくとも逃げ切りではなかったですよね(^^;)?)

ちなみに,今では伝説となっている大差逃げ切りのテスコガビーの800mの通過は46.2秒で,ものすごく速かったというわけではありませんし(ただ,当時としては速かったかも知れません),しかもテンの600m通過35.0秒は並のタイムだったんですが,勝ちタイムの1.34.9もさることながら,このペースで行って最後の200mを11.4秒でまとめたのは驚異でした。今でも最後の200mの最速上がりです。

逆にもっとも遅かったのは1967年(シーエース,京都)の48.8秒でした。当日のコンディションは天候晴,馬場状態良と記録にありますが,どうしてこんなに遅かったのでしょうか。公式発表の馬場状態だけではわからないということもあるし,20頭という当時としては少ない出走頭数だったこともあったのかもしれません。

かつては魔の桜花賞ペースといわれたりしましたが,ここ10年は47秒台が3回,46秒台が6回,45秒台が1回となっており,昔に比べると馬場の管理がよくなっているにもかかわらず,必ずしもペースは速くなっていません。

テンの600mに注目すると,やはり800mの速いレースは600mも速く(というのは逆で,600mが速いから800mも速くなるんでしょう),1978年と2005年33.8秒,1980年33.9秒がベスト3です。

※この記事は初代ブログ(ココログ)に2006年4月4日に書いたものですが,今のブログになぜかインポートされていないのでそのまま投稿します。気が向いたら今週中に最近のデータを加えて投稿したいと思います。

にほんブログ村 競馬ブログ 競馬コラムへ
にほんブログ村

福島競馬場の放射線量 (2015年春)

来週から春の福島競馬がはじまります。

ご存知のように福島競馬は2011年は東京電力がばらまいた放射能によって開催できず,夏から冬にかけて除染をして,2012年の春に開催にこぎつけました。そのときから開催期間中の放射線量を公表してきました。

当初は2週間に1回測定値を公表していたのですが,2013年から開催前に1回公表するだけに変わっています。したがって現在は必ずしも開催期間中の放射線量を公表しているわけではありません。掲載してあるページはものすごくわかりにくいところです。まあ,Google先生なら訳もなく見つけてくれますが(笑)

次が公表されてきた値です(単位はμSv/h)。コピペミスがないとはいえません。転載は禁止です。

測定日 スタンド内平均 馬場内広場平均 屋外観覧席馬場柵前平均
2012/03/29 0.08 0.24 0.29
2012/04/12 0.08 0.25 0.26
2012/04/26 0.08 0.23 0.25
2012/06/06 0.08 0.22 0.24
2012/06/21 0.08 0.22 0.25
2012/07/04 0.08 0.21 0.23
2012/10/24 0.07 0.17 0.16
2012/11/08 0.07 0.20 0.17
2013/03/28 0.07 0.17 0.15
2013/06/19 0.07 0.16 0.14
2013/10/24 0.06 0.14 0.12
2014/03/27 0.06 0.13 0.12
2014/06/19 0.06 0.14 0.12
2014/09/25 0.06 0.12 0.12
2015/03/26 0.06 0.09 0.09

不自然に急に減っているんですけど,何かやったんでしょうか?

ちなみに,福島競馬がこの時期に開催されるようになったのは2003年からです1。途中,雪で中止になったことが2回ありました。福島市に住んでいた者としては福島市の4月の雪はとくに珍しいとは思わないのですが,雪については考慮しなかったんでしょうかねえ?

にほんブログ村 競馬ブログ 競馬コラムへ
にほんブログ村


  1. これ以前に今の新潟競馬の時期に開催していたことがあります。開催のメインレースは福島大賞典でした。 

台風5号雑記

次は発生の早い台風5号ベスト10です。

順位 発生日時
1 1965/04/12 15時
2 2014/04/28 09時
3 1971/04/30 09時
4 1951/05/08 09時
5 1967/05/10 15時
6 1976/05/13 15時
7 1980/05/22 21時
8 1979/05/23 15時
9 2008/05/27 15時
10 1997/05/29 09時

ということで,今年の5号は1951年以降ではもっとも早い発生ということになります。

ついでに,発生のおそい台風5号ベスト10です。

順位 発生日時
1 1998/09/14 03時
2 2010/08/23 09時
3 1975/08/12 15時
4 1954/08/12 09時1
5 1995/08/09 15時
6 1983/08/05 15時
7 2007/07/29 15時
8 1977/07/27 21時
9 1953/07/27 15時
10 1993/07/26 03時

当ブログの台風5号関連の記事:

にほんブログ村 環境ブログ 天気・気象学へ
にほんブログ村


  1. 1954年の2号は欠番のため,5号とは名乗っていますが実質的には4番目の台風です。 

今日の土曜ワイド劇場は鉄道捜査官15

今日の土曜ワイド劇場は鉄道捜査官15,サブタイトルは「死を呼ぶスケッチ旅行!? 終着駅で炎上する名画の謎!!」。

このシリーズの原作は基本的には西村京太郎ですが1,西村作品には花村乃里子という捜査官は登場せず,ストーリーの骨組みを借りているという形なのでしょう。土曜ワイド劇場にはもちろん十津川警部シリーズ2もあるので,ひとつの作品を形を変えて2回放送できるというメリットもありそうです。

このドラマを春の番組改編時にもってきたということは,裏のスペシャル番組に対抗する意味もあるのでしょう。先週の温泉㊙大作戦15もそうでしたが,ある程度視聴率を取れそうですからね。もっとも,私的にいえばスペシャル番組にロクな番組はないのですけどね。

ところが,今日に限っていえば,予期しなかったであろう強力な裏番組があります。そうです,皆既月食です。国立天文台によると,月食の時刻は次のとおりです。

現象 日時
部分食の始め 4日19時15.4分
皆既食の始め 4日20時54.2分
食の最大(食分) 4日21時00.2分(1.005)
皆既食の終わり 4日21時06.4分
部分食の終わり 4日22時45.1分

なんと,土曜ワイド劇場とモロかぶりじゃないですか(笑)

ただ幸いなことに(!?)曇天もようの地域が多いようですね。

鉄道捜査官15のあらすじ

テレビ朝日|土曜ワイド劇場より引用:

 警視庁鉄道捜査隊・東京駅分駐所に所属する鉄道捜査官の花村乃里子(沢口靖子)は、東京駅構内で置き引き犯を現行犯逮捕。だがその直後、現場近くを通りがかった画廊オーナーの山井久美(芦川よしみ)が、絵画を入れたバッグを黒いニット帽の男に奪われる事件が発生する。
 ニット帽の男を「捕まえて!」と叫びながら追う久美。その声に気付いた乃里子が、2人の後を追いかけて角を曲がると、そこには胸を刺された久美が倒れていた。
 現場に偶然居合わせた女性・楠木亜理紗(福田沙紀)によると、ニット帽の男が久美を刺して逃げていったという。駅構内を逃走するニット帽の男を、乃里子たちは追跡の末にようやく追い詰め、逮捕しようとする。だが次の瞬間、男の持っていた絵画入りバッグが突然、炎上。その混乱の隙を突いて、男は姿を眩ましてしまう。
 刺殺された山井久美は、岩手県宮古市の画廊経営者で、『北リアスの天使』という絵画を売るために上京していた。画廊スタッフによると、その絵は日本有数の洋画家・篠崎源一郎(伊武雅刀)が20年前に描いた代表作で、久美は事件当日の朝に「5000万円で売却する」と言って、絵を運び出したという。事件前から久美は『北リアスの天使』の作者である篠崎と頻繁に連絡を取っていて、東京駅で殺害される直前にも、携帯から篠崎の自宅に電話をかけていたことがわかった。しかし篠崎は、妻の昌子(いしのようこ)と三陸海岸へスケッチ旅行に出かけていたため、自宅を留守にしていた。
 その日の夜、一人で帰京した篠崎から事情を聞く乃里子たち。すると篠崎は「久美が殺害された時刻には、三陸海岸の浄土ヶ浜で絵を描いていた」と主張し、事件への関与を否定する。乃里子たちが捜査を進めていくと、事件のひと月前に『北リアスの天使』のモデルの娘と名乗る若い女性が、久美の画廊を訪ねてきていたことがわかる。その女性の特徴は、久美の殺害現場に居合わせた、楠木亜理紗と酷似していた。亜理紗は久美と同じ宮古市在住で、地元の観光ガイドとして働いていた。事件について何か知っているとにらんだ乃里子は、亜理紗を訪ねて三陸海岸へと向かう。するとそこで意外な人物が、乃里子の到着を待っていた!!

地井武男さんが課長をやっていたころは落ち着いた感じがあったのですが,課長が替わってから騒がしくなりましたね。

にほんブログ村 テレビブログ 推理・サスペンスドラマへ


  1. Wikipediaによると第1作と第3作は西村京太郎原作ではないそうです。 
  2. 十津川警部シリーズといえば,いまだに三橋達也と愛川欽也の両氏が目に浮かびます。 

君と僕とは二輪のさくら

今日の東京は強い南風が吹きました。20時までの観測では最大風速10.4m/s,最大瞬間風速19.5m/sです。これが出遅れ春一番なのかフライング・メイストームなのかわかりませんが,競艇だったら制裁もの,競馬だったら調教再審査になるでしょう。

桜もかなり散ったことでしょうねえ。

散る桜といえば,やはり「同期の桜」ですかね。父が予科練だったということもあるかもしれませんが,好き嫌いはともかくとして,私的にはいちばんインパクトの強い歌です。

ただ,父から戦争中の話を直接聞いたことはほとんどありません。軍歌を歌うのを聞いたこともありません。話したくなかったのか,話そうとしても私が聞く耳を持たなかったのか,今となってはわかりませんが。

「同期の桜」は1943年ごろ,戦況の悪化とともに歌われはじめたようですが,原形は西条八十が雑誌「少女倶楽部」の1938年2月号に発表した短編小説「二輪の櫻」の冒頭にある同名の詩です。翌1939年に大村能章によって曲が作られ,「二輪の櫻」(または戦友の唄)としてレコードが発売されました。

「二輪の櫻」は「同期の桜」とメロディーが同じで歌詞もかなり似ています。しかし聞いた感じはかなり違います。「同期の桜」のもつ末期的な悲壮感はありません。

そもそも歌い出しが「♪君と僕とは……」で「♪貴様と俺とは……」ではありません。これだけでもかなりイメージが変わると思います。

これを含めて1番だけ歌詞の違いを挙げると,

s/貴様と俺/君と僕/g;
s/同期の桜/二輪の桜/g;
s/兵学校の庭/部隊の枝/g;

のような感じです。また,「咲いた花なら……」が2番,「血肉分けたる……」が1番と,入れ替わっています。

10年ほど前,図書館で「少女倶楽部」1938年2月号を調べてみました。もともとプチブルのお嬢さま向けの雑誌だったようですが,かなり戦時色が強くなっており,この号には皇軍萬歳銃後の護號という副題がついています。384ページで,値段は3銭5厘。

特別口絵には「銃後の少女を讃ふ」というサトウハチローの詩が載っています。「支那亊變感動美談集」という特集記事もあります。

「二輪の櫻」はこの号のメインアイテムといった感じです。冒頭に件の詩が載っています。(現物は2色刷)

レコード版「二輪の櫻」とはかなり違います。レコード版は3番までなのに対し,4番まであります。

しかも3番が……何これ(笑)

君と僕とは二輪のさくら,
共に皇国《みくに》のために咲く,
昼は並んで,夜は抱き合うて,
弾丸《たま》の衾で結ぶ夢。

どう見ても腐女子のかたがたが喜びそうなやおいまたはBLの世界ですよ(笑) 挿絵の吉屋信子的世界なイメージとはまるで真逆です。

あるSNSで紹介したところ

>弾丸《たま》の衾で結ぶ夢。
も・・・妄想バリバリです・・・・

ってコメントをある女性にいただいたことがあります。

やおいやBLではありませんが,「支那亊變感動美談集」にある「前線勇士へ「光」」という話など今の感覚ではかなりアブナイ話です。まあ,今の感覚では理解できないこともあると思うので,これ以上とやかくいうのはやめておきます。

さて,小説の「二輪の櫻」ですが,字数の少ない15ページほどの短いお話です。詩は劇中歌的な存在で,内容的にほとんど関係ありません。

マッチ箱のやうな小さな家が並んでゐる本所の裏町。その一軒の見るも侘しい四畳半で,ひとりの少女が手紙を書いてゐました。

この少女が主人公,和江さんという名前です。兄は海軍陸戦隊で中国に出征しており,銃後を母親とふたりで守っていました。ところがある日,兄は“名誉の戦死”を遂げてしまいます。和江さんは兄が生前上海の共同租界で知り合った“少女”(和江さんよりは少し年上という設定。明らかに兄とは恋仲だったと思われます)と運命的に出会い,ともに篤志看護婦として出帆していく――という内容です。

他の話を見ても,兄と妹の話が多いです。時代からいって恋人の話にはできなかったのでしょうけれど,ほとんどワンパターンって感じです。

それにしても,“お国のために”働いて“お国のために”戦死した若者の遺族が,こんなビンボーでいいんでしょうかねえ……?

にほんブログ村 環境ブログ 天気・気象学へ
にほんブログ村

桜の幹に十字の詩

桜の季節ですね。桜といえばこの歌:

船坂山や 杉坂と
御あと慕いて 院の庄
微衷をいかで 聞えんと
桜の幹に 十字の詩

~文部省唱歌「児島高徳」

児島高徳は戦前は超有名だったらしい人物です。ただし,『太平記』にしか登場せず,実在した人物かどうかは不明です。

時は元弘二年三月なかば,児島高徳とその一党は隠岐に流される後醍醐先帝を奪還する機会を虎視眈々と窺いますが,情報が間違っていたり,警備が固かったりしたため奪還をあきらめ,せめて奪還の意志だけでも先帝に伝えようと思い,宿泊している建物の庭にある大きな桜の木の幹に10字の詩を刻みました。

天莫空勾践  天,勾践を空しうする莫れ
時非無范蠡  時(に)范蠡無きにしも非ず

越王勾践と呉王夫差との間で繰り広げられた呉越戦争の故事を題材にした詩です。「史記」や「十八史略」を読んだことのある人にはおなじみでしょう。臥薪嘗胆会稽の恥の語でも有名です。ちなみに「太平記」で“嘗めた”のは“胆”ではなく別のものです。

さて,元弘二年三月なかばは今の暦では1332年4月上旬~中旬にあたります。『太平記』にとくに記述がないところをみると,桜の花はまだ咲いてはいなかったのでしょう。また,江戸時代の詠史川柳に

三郎は毛虫を筆で払ひ退け

というようなのがありますが,まだ毛虫はついていなかったと思われます。

『太平記』には

御警固の武士共、朝に是を見付て……

とあるので,高徳は夜のうちに10字の詩を幹に刻んだものと思われます。まあ,いくらなんでも真っ昼間にはやらんでしょう。すぐに現行犯タイーホされるでしょうし。でも,そうすると真っ暗な中で刻んだことになりますね。とくに“蠡”なんてかなり難しかったに違いありません。

ちなみに,戦前には同じく児島高徳を謳った「忠義ざくら」(南条歌美・作詞,細川潤一・作曲,三門順子・歌)という歌もありました。なんか押し売りって雰囲気のわざとらしい感じのする歌です。

ブログランキング・にほんブログ村へ

今朝の国立・大学通り

国立市にある大学通りです。

今朝,次の地点にある歩道橋から撮りました。

赤い三角屋根の駅舎が写っています。えっ?

にほんブログ村 テレビブログ 推理・サスペンスドラマへ

9年前にこのブログを書いていれば,確かに今朝の国立・大学通りでした,はい。