神田祭という神田明神のお祭りがあります。今は5月15日前後に行なわれていますが,かつては旧暦九月十五日前後に行なわれていました。
1874年,明治天皇が神田明神に行幸するにあたり,天皇が参拝する神社に“朝敵”平将門が祀られているのはヤバいということで,平将門は末社に降格されるといういわれなき処分を受けました。
時の神田生まれの江戸っ子たちはこの処分に反発,10年にわたり神田祭をボイコットしました。
しかし,それから10年たった1884年,世は不景気だし,この不景気を吹っ飛ばそうじゃないかということで,今の暦の9月14~16日に復活神田祭が催されることになりました。
ところが,吹っ飛んだのは不景気ではなく祭りのほうでした。もちろん平将門が怒って,なんと台風を召喚したのです。
明治の初年朝敵論の喧しき際ヨセバよいのに神田明神の神體に迄難癖をくツ付け將門様は末社の御牢舎,……我三百年鎮守の奮思を忘れ將門ハ朝敵ゆゑ神殿に上らすべからずなどゝて末社に追い退けたるこそ奇恠な○……將門様は時こそ來たれりと日本八十餘州より數多の雨師風伯を驅り催し大事の大事の十四日の宵宮よりして八百八町を荒れ廻はりて折角のお祭りをメチャメチャに致されたるなり(時事新報9月16日)
この台風は15日10時ごろ東海地方に上陸し,関東地方を通過して夕方には金華山沖に抜けました。15日11時には浜松で最低気圧717粍を観測,また芝・飯倉にあった海軍観象台では同日16時に「南南西八十二里」の風を観測しています。
東京府内では神田祭のほかにもかなりの被害があったようで,例えば深川区では9割以上の家屋が浸水しています。
興味深いところでは,上野不忍池に完成したばかりの共同競馬会社の競馬場が暴風によって壊れました。
不忍の池の馬塲は既に落成し馬見所は上棟式も濟み七八分通りは出來せしが一昨日の暴風雨にて皆を破壞したれば今度は假馬見所を設け来月二十四五六の三日間同所に於て馬塲開の式と合せ競馬會を施行されるといふ(読売9月17日)
なお,この将門台風と同じころ,別の台風が西から近づいてきており,16日に九州に上陸し,瀬戸内,東海と進み,17日に東京の北東から太平洋に抜けたようです。京都の被害が大きかったようですが,詳細は不明です。
お散歩
神田明神
銭形平次の碑
神田明神の境内にあります。
不忍池(競馬場跡)
100年以上も昔,池のまわりを馬が走っていたとは,知らない人は知らない(<当たり前か)。
ここにコースがあったと思われます。
ちなみに,この競馬場は当時国内では珍しい左回りでした。