雨の中,鈴鹿での最後のF1日本GPのフリー走行がはじまりました。
雨のF1日本GPと聞いて1976年を思い出す人は,そうとう年期のはいった人だと思います(早い話が年寄り)。珍しもの好きのσ(^^;)はテレビでは見ていたはずですが,当時自動車レースにそれほど興味があったわけではないので,ほとんど記憶にありません。歴史で学んだクチです。
この年はJ.ハント(マクラーレン)と“不死身”のN.ラウダ(フェラーリ)がチャンピオンの座を争っており,ラウダが3点リードして最終戦の日本GP(富士スピードウェイ)を迎えました。
10月24日の決勝レースは雨ともやのため1時間40分遅れのスタート。2周目にラウダが早くもリタイア。「こんな危険な状態の中では走れない」と自らレースを辞めたもので,“勇気あるリタイア”ともいわれていますが,ホントのところはハントの自滅待ちか,この年雨のニュルブルクリンクで瀕死の重傷を負っていたので雨が恐くて逃げ出した……といったところでしょう。まあ,真実を知るのは本人のみ。
レースはM.アンドレッティ(ロータス)が優勝,ハントは3位にはいって4点を獲得し,逆転でチャンピオンになりました。
この日の天気図は次のとおりです。
翌1977年も富士スピードウェイでF1日本GPが開催されましたが,G.ビルヌーブが観客席に突っ込んで2人死亡するという事故が起こったこともあり,日本での次のF1開催まで10年待つことになります。そしてこの事故からちょうど30年の2007年,富士にF1が戻ってくることになっています。