『三代実録』の貞観十六年(874)十月十九日の条に次のような記述があります。
甲戌十九日。太政官奏。沙弥教豊。俗名上毛野豊麻呂沙弥善福。俗名水取貞江。於丹波國船井郡。濫僧册餘人。殺勸學院使日奉全吉。支解其體。行火燒民屋二家。并燒殺一女。下刑部省令覆案。並當斬刑。石見國人若枝部豊見。鬪駆殺人。當絞刑。勅。宜減死一等並處遠流。
もちろん『三代実録』なんてσ(^^;)の愛読書でも何でもなく,この凶悪事件は長山泰孝『世相の古代史』で見つけたものです。同書によると,次のような事件です。
沙弥の教豊と善福の二人は,丹波国船井郡で悪僧四〇人あまりを率いて,勧学院の使の日奉全吉を殺して死体をばらばらにした。そのうえ民家に放火して二戸を焼き,女性一人を焼き殺した。刑部省の判決によると,二人の罪は死罪にあたるが,罪一等を減じて遠流にするということである。
ここで勧学院というのは藤原氏が子弟の教育のために設けた機関で,このような事件の背景には荘園をめぐる争いがあったようです。また,罪一等が減じられているのは,818年以降,死刑の執行を避けるようになったためということです(すべて同書より)。
ちなみに,死刑の執行を避けるようになったのは,今の死刑廃止論者がバカのひとつおぼえのように唱える“人道”上や“人権”上の理由などではなく,怨霊を恐れてのことでしょう。
その他のおもな事件――
AD0773/10/19 呪詛の罪で皇后を廃された井上内親王が不破内親王をも呪詛したということで,子の他戸王とともに大和国宇智(今の奈良県五条市付近)の邸宅に幽閉される (宝亀4)
「井上内親王の呪詛事件」は奈良時代の重要な事件ですね。ただし教科書には載っていません(たぶん)。幽閉後,宝亀六年(775)に子の他戸王とともに死亡していますが,明らかに暗殺か自害を迫られてのものでしょう。その後天変地異や飢饉が続けざまに起こり,井上内親王のたたりと恐れられますが,いずれ別の機会に。
AD1979/10/19 台風20号,白浜付近に上陸。猛スピードで本州縦断
この台風については→観測史上最強台風 TIP
AD1997/10/19 イスラエルとヨルダン川西岸でひょうを伴った暴風雨。11人以上死亡
AD1997/10/19 第2回秋華賞,1番人気のオークス馬メジロドーベルが直線伸びて2.00.1のタイムで優勝。2着は桜花賞馬キョウエイマーチ
AD2003/10/19 第8回秋華賞(G1),スティルインラブ(幸英明騎乗)が1分59秒1で勝ち,1986年のメジロラモーヌ以来17年ぶりの牝馬三冠を達成