1988年雨のF1日本GP

お天気に関わりなくF1日本GPといえばやはり1988年でしょう。

F1が日本の一般ピープルに注目されはじめ,モータースポーツがNHKでまともに取り上げられるようになったのは,中嶋悟がロータス・
ホンダのNo.2ドライバーとなり,フジテレビで全戦中継するようになった1987年からでしょう。
もう19年も前なんですねえ(^^;)

セナは1987年はロータスのアクティブサスペンションが不調だったこともあってそれほどでもなかったのですが,
1988年にホンダエンジンとともにマクラーレンに移ってからチャンピオン争いに加わるようになりました。

この年はマクラーレン・ホンダ旋風が吹き荒れ,
しかもイタリアGPを除いて同じマクラーレンのセナとプロストのうちどちらかが勝つという圧倒的な強さでした。

こうして迎えた日本GP決勝。ポールシッターのセナはスタート直後にエンジンをストールさせてしまいました。
プロストがスタートできないセナを横目で見ながら追い越していきます。しかし下り坂に助けられ,エンジン再始動,1コーナーを14位で回り,
オープニングラップを8位で通過します。その後も驚異的な追い上げを見せ, 2周目で6位,5周目で3位まで順位を上げ,
20周目には2位を走行していたレイトンハウス・マーチのカペリのリタイアがあって2位まで上がり,
トップを走るプロストの背後にひたひたと迫ります。
そして27周目の最終コーナーの立ち上がりでプロストが周回遅れにひっかかってじゅうぶんに加速できないのに乗じて,
セナはプロストのスリップストリームにはいり,第1コーナーでプロストのインに飛び込み,ついにラップリーダーとなりました。
このときのフジテレビの空撮映像は大川アナ(当時)の実況ともあいまって絶品でした。

レース序盤から時折降っていたしぐれ模様の雨が後半にやや強くなりました。ただ,全車スリックタイヤのままでしたし,
レース短縮もありませんでしたから,降水量としては大したことはなかったのでしょう。

セナは滑りやすくなった路面も無難にこなしてそのままチェッカーを受け,ついにワールドチャンピオンの座に就いたのでした。

「メーン・スタンド後方にかかった虹が,新チャンピオンを祝福しているように見えた」(スポニチ 1988/10/31付)

この日は日本の東海上を進んだ低気圧が千島列島付近で964mbと猛発達,東~北日本を中心に強い冬型の気圧配置になりました。
記録を見ると,長野や松本では平年より20日も早く初雪が降って最早記録を更新したほか,各地で初雪を観測,
野沢温泉では20cmの積雪があり,初滑りが楽しめました。また,43日も早く榛名山の初冠雪が観測されています。

1988103009

σ(^^;)はたまたま埼玉県の本庄市に出かけていまして,山々が雪化粧していたのをよくおぼえています。
日本GPの結果が早く知りたくて, 脱兎のごとく家に帰ってNIFTY-serveの時事通信ニュースを見ました。
パソコン通信は当時のニューメディア(死語か)でした。 今ならあわてて帰らなくてもケータイで結果を知ることができますし,
ワンセグでレースを見ることだって。

セナはこのときも含めて3回ワールドチャンピオンになりますが,1994年5月1日,サンマリノGPでのレース中の事故で天に召されました。

ミヒャエル・シューマッハーも来年から過去の人になるようですから,アイルトン・セナはもうとっくの昔に歴史上の人物なのでしょうねえ。