天空の城

“天空の城”とくればもちろんラピュタです。ドラクエ4,ドラクエ5に出てくるのは天空城ですね。

σ(^^;)が「となりのトトロ」と並んで好きなジブリアニメが「天空の城ラピュタ」だったりします。1986年公開の作品ですが,実はこのときは存在すら知りませんで,はじめて見たのは1988年にテレビで放映されたときだったりします。

説明は不要でしょうが,ラピュタは飛行石によって上空に浮かんでいる巨大な島。古代においては高度な文明をもっていて,ラピュタびとのみが飛行石を結晶化する技術をもっていたそうです。旧約聖書に出てくるソドムやゴモラを滅ぼしたのもラピュタだったとか。

そんな島だったらすぐに発見されそうですが,巧妙に雲に隠れていて地上から見ることはできません。唯一,パズー(このアニメの主人公)の父親がラピュタに到達し,そのことを本にして出版しましたが,詐欺師扱いされ,失意の中で死んでいきました。

それでは,ラピュタはどのような雲に隠れているのでしょうか? 実際?!にはいろいろ偽装しているのでしょうが,作品の中では2つの形態の雲の中に隠れています。

まずひとつは,雄大積雲です。パズーとシータが洞窟のポムじいさんから飛行石にまつわる話を聞いたあとに地上に出たとき,「うわ~っ,すごい雲!!」と感嘆の声をあげる場面があるのですが,その雲は雄大積雲に見えます。

雄大積雲というのは,その名のとおり積雲(わた雲)が大きく発達した雲です。同じく積雲が発達した雲に積乱雲がありますが,こちらは雲頂が成層圏に達して頭が平らになったり巻雲を吹き出したりしているのに対し,雄大積雲は頭がモコモコしている点が違います。

もうひとつは,「竜の巣」です。ラピュタに向かうパズーとシータの乗ったドーラの海賊船タイガーモス号に立ちはだかったのが「竜の巣」でした。「竜の巣」は,低気圧の中心にある鳥の巣状に渦を巻いている積乱雲の壁のようです。この壁の向こうにラピュタがあるので,台風のスケールを小さくしたものとイメージできると思います。あるいはスーパーセル型の積乱雲の中心と考えることもできるかもしれません。

「竜の巣」の「竜」と低気圧の中心ということから,竜巻とか竜巻のもとになるメソサイクロンを連想したくなります。「竜の巣」がスーパーセル型の積乱雲の中心なら,ここにメソサイクロンや竜巻が発生してもおかしくはないわけです。ただ,ラピュタの下で竜巻が発生するとは作品の中で語られていないので,ここまで考えなくてもいいでしょう。

ところで,ドーラの海賊船タイガーモス号が空中戦艦ゴリアテの追跡をはじめる場面で,次のようなセリフがあります。

アンリ 「ママぁ~,ゴリアテのほうが足が速いよどうするの?」

ドーラ 「あたしらヤツの風上にいるんだ,貿易風をつかまえれば……。こりゃあね,東洋の計算機だよ。風力が10,と……。な~んとかなりそうだ!!」

ここの地球の話とすれば,このセリフ,ちょっとおかしいです。貿易風は東から西に吹く風です。このときラピュタは日の出の方向すなわち東のほうにあるので,貿易風を捕まえたりしたら逆方向の西に流されることになります。

まあ,貿易風を偏西風ないしジェット気流と読みかえればいちおうツジツマは合うので,これ以上詮索するのはやめておきます。

秋清し。街に野に行楽客

「10月17日」でハードディスク内を検索したらヒットした1954年10月17日付毎日新聞夕刊の見出しです。この日は日曜日ですが,以前は日曜日も夕刊がありました。

運動会でにぎわう豊島園
熱海の散財一億円?

「“雨具が入り用”との気象台の予報が見事に外れた十六,七日は,東京都内はじめ東海地方まですごい人出」だったそうです。

この当時は,10月の中旬が秋の行楽シーズンだったんですね(「体育の日」がまだないので)。熱海もまだメジャーな行楽地だったようです。ここで運動会というのは企業か組合主催の社員リクレーションのための運動会です。今だったらこんなのをやってもほとんど誰も参加しないでしょう。

“悪夢”の相模湖へも

8日に修学旅行の麻布中学の生徒を乗せた定員オーバーの観光船が転覆して22人が死亡するという事故が起こったばかりの相模湖も,この年最高の人出となりましたが,“おいでおいで”が怖いとみえて,さすがにボートに乗る客はいなかったそうです。

カーネル・サンターズの呪いはじまる

1985年10月16日,大阪ミナミに突如として(?)現われた群衆がKFC道頓堀店に置いてあったカーネル・サンダース人形を「バースや! バースや!」というわけのわからない叫び声とともに拉致,そのまま道頓堀川に投げ込むという暴挙を行ないました。

「カーネル・サンターズの呪い」のはじまりです。

某プロ野球球団がその後しばらく優勝できなかったのはこの呪いのせいだという話もありましたが,σ(^^;)にとってはどうでもいい話で。

ちなみに,1991年か1992年の日米通商会議(?)で,アメリカ側から「カーネル・サンダースさまを川へ突き落としたやつを死刑にしろ」という要求があったというのは,一部には有名な話です(爆)

殉難動物慰霊碑

動物衛生研究所九州支所に殉難動物慰霊碑があります。1951年のルース台風で殉難した動物たちの慰霊碑だそうです。碑銘には一樹の蔭と刻まれています。http://niah.naro.affrc.go.jp/sat/tanken/monument.htm

動物慰霊碑はときどき目にすることがありますが(競馬場内外でとくに。名前は違うことが多いですけど(笑)),自然災害による動物慰霊碑は珍しいと思います。

ルース台風

1951年10月9日グアム島の西海上で発生,発達しながら西北西~北西に進み,12日15時には925mb,最大風速60m/sに発達。12日15時に北緯20度線を超えるあたりから進路を北に変え,14日19時ごろ鹿児島・串木野付近に上陸。約80km/hで九州を縦断し,22時には国東半島付近を通って周防灘に抜け,そのご山口県防府市付近に再上陸,米子の東から山陰沖に抜けました。

台風が衰える間もなく高速で進んだため,九州南部を中心に全国的に暴風が吹き荒れました。宮崎県の細島では日本歴代第2位の最大風速69.3m/s,愛媛県佐田岬では同じく第3位の67.1m/sを記録しています。

また,台風の接近とともに前線(ちなみに,当時は秋雨前線ということばはまだなかった)活動が活発になり,九州東部,中国,四国地方で大雨になりました。もっとも大きな被害を受けた山口県では,錦川上流で土砂崩れが多発,前年のキジア台風で流された錦帯橋がまたも被害を受けました。

1951年10月16日付の西日本新聞から見出しをいくつか拾ってみます。

死者遂に287名 西日本の被害益々拡大
ダム溢水で犠牲84名 山口錦川氾濫,五村襲う
高潮38名を一呑み 枕崎
愛児は生きていた 倒壊家屋から守る死の母の母性愛

●2つの台風進路予想

1951年10月14日付の朝日新聞に「海岸沿いか縦断か 台風進路に二つの予想」という見出しの興味深い記事があります。中央気象台(東京)と大阪管区気象台がルース台風の進路に関して,異なる予想を出していたというのです。記事によると,中央気象台では「本土をかすめ台風中心は南方海上を通過する公算が大きい」,大阪管区気象台では「四国から大阪湾に上陸,中部,関東を縦断する最悪“コース”をとるだろう」という予報を出していました。

このように異なる予報が発表されたのは,1949年のデラ台風や1950年のキジア台風を教訓とし,1950年の全国気象台予報課長会議で,中央気象台が各地の情報を集めて判断を下していたのでは時間的に手間取って間に合わないときは,各管区ごとに独自の判断を発表するという現地主義に切り替えられたためです。

結果からいえば,両方ともハズレ,でした。

現在は台風の予報は基本的には気象庁(本庁)の予報部ですべて行なっていますが,台風の予報を行なっているのはなにも日本だけではなく,いろいろな国で独自の予報を行なっています。それぞれのWebサイトで見ることができる場合もあります。比較してみると面白いかもしれません。

●苦しいときの台風頼み

当時,電力はおもに水力発電で賄われていました。朝鮮戦争による特需で電力需要が増えていたことに加え,この夏は小雨だったため,慢性的な電力不足に悩まされていました。そのため,ルース台風による慈雨が期待されていました。

確かに雨は降り,しかもよせばいいのにところによっては降りすぎるくらい降りました。それで「電源地帯はフル運轉」(10月14日西日本新聞)「ふっとんだ電力危機 流量一挙40%増」(10月16日同)という状況になりましたが,それもたった数日間のことでした。

ちなみに,“台風への雨乞い期待”はその後もときどきあり,例えば1967年の秋は,台風は発生するものの日本列島に近づかず,秋雨も東日本ばかりで,西日本を中心に渇水が生じていました。そんなところに34号がやってきて前線を活性化してくれたために北九州では恵みの雨になりました。しかし,ほとんど不意打ち気味に上陸して暴風雨を引き起こしたため思いのほか被害が大きく,死者・不明47人,住家損壊2959棟,浸水26842棟におよび,とんだ“度を越した恵みの雨”となりました。

また,1978年には渇水状態の東京に,台風15号が“給水台風”の期待とともに近づいてきましたが,予想進路のいちばん南に進路をとり,

給水台風として異例の期待をされていた台風15号は,つれなくも肩すかしを食わせる形で,東海上へ去っていった。(1978年9月6日付朝日夕刊)

観測史上最強台風 TIP

1979年10月4日15時,トラック島の南東海上に弱い熱帯低気圧(当時の呼び名。今流にいえばただの熱帯低気圧)が発生,6日15時には台風20号に昇格しました。

台風には気象庁がつける何号という番号のほかに米軍の合同台風警報センターJTWCが名づける名前がありましたが(今はいわゆる「アジア名」に変わっています),前年まではすべて女性名でした。有名なところではカスリーン,アイオン,キティ,ジェーンなど。洞爺丸台風は15号よりもむしろマリーとよばれていました。しかし台風よりもはるかにおっとろしい女性団体の圧力で,男女交互に名前をつけることになり,この年の3号から男性台風が登場,20号は男性名でTIPと名づけられました。

なお,3号が男性で交互なら20号は女性になるはず……とここで気づいたあなた,スルドイです。実はおそるべき?!からくりが隠されているのです(笑)

話がズレましたが,この台風は,9日の夜から急速に発達し,12日12時と15時に沖ノ鳥島の南東海上で870mbという世界の最低気圧を記録,観測史上最強の台風になりました。

この気圧は米軍の観測機がドロップゾンデで観測した実測値です。当時は台風の中心気圧を実測していました。現在は気象衛星画像による台風中心付近の雲の形と動きからドボラック法とよばれる手法で風速を推定し,それから中心気圧を決めています。ちなみに,この手法では実際の気圧より高めに(要するに実際よりも弱く)出るのでは……という指摘もあります。

さて,台風20号TIPは19日09時40分ごろ965mbの勢力で和歌山県白浜付近に上陸,95km/hという猛スピードで本州を縦断し,23時ごろ釧路付近に再上陸しました。そのため被害はほぼ全国に及び,死者・不明111,負傷478,住家損壊7523棟,住家浸水37450棟,耕地被害25451ha,農林水産業被害1057億円などでした。

1966年の26号(いつだったかを参照(爆))以来13年ぶりに台風の暴風域にはいった首都圏は国電(懐かしい名前)や私鉄がほぼ全面運休,電話回線もパンクし,193万戸が停電,「首都圏の台風被害は「足」と「耳」を直撃」「災害に弱い大都市の弱点をさらけ出した」(20日付毎日朝刊)。

大小を問わず,このときの首都圏の駅という駅の混みようはとにかくすさまじかったそうです。ストと違って災害だから……とはじめは寛容だった乗客も,国鉄のいいかげんな対応に次第にブチ切れはじめたそうです。まあ,聞くところによると当時の国鉄の組織的な危機対応能力はほとんどゼロメートル地帯でしたし,それを引きずっているのがJR東日本JR西日本なのでしょう。

ちなみに,この年は20号を含めて3つ台風が上陸しましたが,なぜかすべて男性名でした。

伝説のG2

1998年の今日,東京競馬場で行なわれた第49回毎日王冠は,サイレンススズカグラスワンダーエルコンドルパサーの最初にして最後の対決で,翌年には早くも伝説のG2とよばれるようになっています。

しかしσ(^^;)的には,毎日王冠では1992年のやはり今日行なわれた第43回毎日王冠のほうがいろいろな意味で印象深いです。


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1992年10月11日(日) 4回東京2日  天候: 曇   馬場状態: 良
10R  第43回毎日王冠
3歳以上・オープン・G2(別定) (混)  芝 1800m   11頭立
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着枠 馬  馬名               性齢 騎手     斤量 タイム  3F  人体重     廐舎
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1 1  1  ダイタクヘリオス  牡 5 岸滋彦   59  1.45.6 35.5  4 474 (栗)梅田康雄
2 7  9  イクノディクタス  牝 5 村本善之  55  1.45.7 35.2  3 464 (栗)福島信晴
3 2  2  ナイスネイチャ   牡 4 松永昌博  58  1.45.9 35.2  1 500 (栗)松永善晴
4 7  8  ヤマニンシアトル  牡 5 南井克巳  57  1.46.3 35.5  6 504 (栗)橋本寿正
5 6  6  スカーレットブーケ 牝 4 柴田政人  55  1.46.4 35.4  7 466 (栗)伊藤雄二
6 4  4  サクラヤマトオー  牡 4 小島太   57  1.46.6 35.4  2 514 (美)境勝太郎
7 5  5  ハシノケンシロウ  牡 5 大塚栄三  57  1.46.6 34.8 11 434 (美)八木沢勝
8 3  3  マルマツエース   牡 4 安田富男  57  1.46.9 35.5  5 524 (美)仲住芳雄
9 6  7  ラッキーゲラン   牡 6 内田浩一  58  1.46.9 36.6  8 458 (栗)池江泰郎
10 8 10  ロバートタイガー  牡 4 岡部幸雄  57  1.47.5 36.8 10 458 (美)阿部新生
11 8 11  マンジュデンカブト 牡 6 山田和広  57  1.47.8 36.6  9 468 (栗)坪正直 
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LAP :12.8-11.1-11.3-11.7-11.5-11.7-11.9-11.6-12.0
通過:35.2-46.9-58.4-70.1  上り:70.4-58.7-47.2-35.5  平均:1F:11.73 / 3F:35.20
単勝 1 \520    複勝 1 \200 / 9 \180 / 2 \150
枠連   1-7 \1110 (4)
馬連   01-09 \1440 (6)

同じ日,福島競馬場で行なわれたオープン特別福島民報杯で,レッツゴーターキンが快勝しました。しかし,この時点で同馬が秋天を大外から一気に差し切ってしまうと予想した人は,おそらく誰もいなかったでしょう。


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1992年10月11日(日) 2回福島4日  天候: 晴   馬場状態: 良
11R  福島民報杯
3歳以上・オープン(別定) (混)  芝 2000m   9頭立
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着枠 馬  馬名               性齢 騎手     斤量 タイム  3F  人体重     廐舎
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1 2  2  レッツゴーターキン 牡 5 大崎昭一  58  2.01.4 37.0  1 454 (栗)橋口弘次
2 8  8  センゴクヒスイ   牝 6 坂本勝美  56  2.01.9 37.2  4 432 (美)久保田敏
3 3  3  グレイトウェーブ  牡 4 伊藤暢康  56  2.02.0 38.0  3 466 (美)大和田稔
4 6  6  シャコーグレイド  牡 4 土谷智紀  57  2.02.1 38.1  2 456 (美)矢野照正
5 5  5  エースクレン    牡 6 谷中公一  55  2.02.1 37.6  9 558 (美)鈴木康弘
6 7  7  ワンダーレッスル  牡 5 佐藤哲三  56  2.02.6 38.7  5 492 (栗)湯浅三郎
7 1  1  ハワイアンコーラル 牡 7 蓑田早人  57  2.03.0 38.1  7 504 (美)中村広 
8 8  9  アサクサハポネス  牡 4 大西直宏  56  2.03.2 38.5  6 438 (美)清水利章
9 4  4  トーワタケシバ   牡 6 小谷内秀  56  2.03.8 38.4  8 510 (栗)佐山優 
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LAP :12.9-11.4-11.4-12.7-11.9-11.8-11.8-12.4-12.3-12.8
通過:35.7-48.4-60.3-72.1  上り:73.0-61.1-49.3-37.5  平均:1F:12.14 / 3F:36.42
単勝 2 \200    複勝 2 \110 / 8 \160 / 3 \160
枠連   2-8 \510 (2)
馬連   02-08 \730 (4)

「日本競馬史上最高の名勝負」

1992年10月10日23:00-23:30,↑という名前のテレビ番組がNHKで放送されました。この年の9月18日に死亡したトウショウボーイを追悼する意味もあって企画されたのでしょう。

「日本競馬史上最高の名勝負」とはもちろん1977年12月18日,あの有馬記念です。レースのビデオがノーカットで放送されたことはいうまでもありません。しかもなんと杉本アナ実況だったのです。

変な作家(少なくともσ(^^;)の知らない作家)が出てきてうだうだしゃべったりしたのが少し残念でしたが,なかなかgoodな番組でした。。

東京メッツ優勝!!

10月10日,東京メッツと阪神タイガースのセ・リーグ優勝を賭けた直接対決で,メッツの北の狼・火浦健がそれまでいいように打たれていたタイガースの南の虎・王島大介を封じ,メッツがタイガースを破り,優勝を決めました。

ところは国分寺球場。どこの国分寺にあるんでしょうか?(笑)

ちなみに,ハンカチ王子の学校は国分寺にありますが,グラントは国分寺にはありません。