1988年雨のF1日本GPの日の天皇賞

セナがはじめてワールドチャンピオンに輝いた日,快晴に恵まれた東京競馬場では,当時の現役最強馬タマモクロスと新鋭オグリキャップとのはじめての対決となる第98回天皇賞が行なわれました。

当時は,自粛ブームの真っ最中。とくに天皇賞は名前が直接的すぎることもあって,広告キャンペーンは一切行なわれませんでした。にもかかわらず,折からの競馬ブームもあり,2頭の対戦はファンの注目を集め,東京競馬場には12万人の観客がつめかけ,馬券の売り上げもそれまでの秋天レコードを更新しました。

レースはよく知られているようにタマモクロスの快勝でした。

------------------------------------------------------------------------------
1988年10月30日(日) 6回東京8日  天候: 晴   馬場状態: 良
10R  第98回天皇賞(秋)
3歳以上・オープン・G1(定量) (牡・牝)  芝 2000m   13頭立
------------------------------------------------------------------------------
着枠 馬  馬名               性齢 騎手     斤量 タイム  3F  人体重     廐舎
------------------------------------------------------------------------------
1 6  9  タマモクロス    牡 4 南井克巳  58  1.58.8 ----  2 452 (栗)小原伊佐
2 1  1  オグリキャップ   牡 3 河内洋   56  1.59.0 ----  1 492 (栗)瀬戸口勉
3 8 12  レジェンドテイオー 牡 5 郷原洋行  58  1.59.5 ----  9 524 (美)田村駿仁
4 4  5  ダイナアクトレス  牝 5 岡部幸雄  56  1.59.6 ----  3 480 (美)矢野進 
5 3  3  ランニングフリー  牡 5 菅原泰夫  58  1.59.8 ----  7 452 (美)本郷一彦
6 3  4  ボールドノースマン 牡 4 柴田政人  58  2.00.0 ----  4 470 (美)稗田研二
7 7 10  シリウスシンボリ  牡 6 加藤和宏  58  2.00.3 ----  5 518 (美)二本柳俊
8 7 11  カイラスアモン   牡 4 安田富男  58  2.00.3 ----  8 488 (美)松山吉三
9 5  8  マティリアル    牡 4 東信二   58  2.00.9 ----  6 490 (美)田中和夫
10 8 13  トウショウサミット 牡 6 柏崎正次  58  2.01.4 ---- 11 494 (美)奥平真治
11 5  7  ガルダン      牡 7 大塚栄三  58  2.01.4 ---- 13 468 (美)藤沢和雄
12 4  6  カシマキング    牡 8 的場均   58  2.01.4 ---- 10 456 (美)飯塚好次
13 2  2  パリスベンベ    牡 6 中舘英二  58  2.01.4 ---- 12 466 (栗)加藤敬二
------------------------------------------------------------------------------
LAP :12.6-11.2-11.9-11.7-12.0-12.3-11.9-12.0-11.7-11.5
通過:35.7-47.4-59.4-71.7  上り:71.4-59.4-47.1-35.2  平均:1F:11.88 / 3F:35.64
単勝 9 \260    複勝 9 \130 / 1 \110 / 12 \370
枠連   1-6 \240 (1) 


ちなみに,σ(^^;)は埼玉県の本庄まで出かけていたこともあって,このレースは見ていません。しかもオグリキャップってなぜか印象が薄いんです。

ところで,当時の自粛ブームの犠牲となったテレビ番組に「ザ・スクールコップ」があります。3話構成のはずの「セーラー服幽霊」が「前編」だけで終了になってしまいました。

1988年雨のF1日本GP

お天気に関わりなくF1日本GPといえばやはり1988年でしょう。

F1が日本の一般ピープルに注目されはじめ,モータースポーツがNHKでまともに取り上げられるようになったのは,中嶋悟がロータス・
ホンダのNo.2ドライバーとなり,フジテレビで全戦中継するようになった1987年からでしょう。
もう19年も前なんですねえ(^^;)

セナは1987年はロータスのアクティブサスペンションが不調だったこともあってそれほどでもなかったのですが,
1988年にホンダエンジンとともにマクラーレンに移ってからチャンピオン争いに加わるようになりました。

この年はマクラーレン・ホンダ旋風が吹き荒れ,
しかもイタリアGPを除いて同じマクラーレンのセナとプロストのうちどちらかが勝つという圧倒的な強さでした。

こうして迎えた日本GP決勝。ポールシッターのセナはスタート直後にエンジンをストールさせてしまいました。
プロストがスタートできないセナを横目で見ながら追い越していきます。しかし下り坂に助けられ,エンジン再始動,1コーナーを14位で回り,
オープニングラップを8位で通過します。その後も驚異的な追い上げを見せ, 2周目で6位,5周目で3位まで順位を上げ,
20周目には2位を走行していたレイトンハウス・マーチのカペリのリタイアがあって2位まで上がり,
トップを走るプロストの背後にひたひたと迫ります。
そして27周目の最終コーナーの立ち上がりでプロストが周回遅れにひっかかってじゅうぶんに加速できないのに乗じて,
セナはプロストのスリップストリームにはいり,第1コーナーでプロストのインに飛び込み,ついにラップリーダーとなりました。
このときのフジテレビの空撮映像は大川アナ(当時)の実況ともあいまって絶品でした。

レース序盤から時折降っていたしぐれ模様の雨が後半にやや強くなりました。ただ,全車スリックタイヤのままでしたし,
レース短縮もありませんでしたから,降水量としては大したことはなかったのでしょう。

セナは滑りやすくなった路面も無難にこなしてそのままチェッカーを受け,ついにワールドチャンピオンの座に就いたのでした。

「メーン・スタンド後方にかかった虹が,新チャンピオンを祝福しているように見えた」(スポニチ 1988/10/31付)

この日は日本の東海上を進んだ低気圧が千島列島付近で964mbと猛発達,東~北日本を中心に強い冬型の気圧配置になりました。
記録を見ると,長野や松本では平年より20日も早く初雪が降って最早記録を更新したほか,各地で初雪を観測,
野沢温泉では20cmの積雪があり,初滑りが楽しめました。また,43日も早く榛名山の初冠雪が観測されています。

1988103009

σ(^^;)はたまたま埼玉県の本庄市に出かけていまして,山々が雪化粧していたのをよくおぼえています。
日本GPの結果が早く知りたくて, 脱兎のごとく家に帰ってNIFTY-serveの時事通信ニュースを見ました。
パソコン通信は当時のニューメディア(死語か)でした。 今ならあわてて帰らなくてもケータイで結果を知ることができますし,
ワンセグでレースを見ることだって。

セナはこのときも含めて3回ワールドチャンピオンになりますが,1994年5月1日,サンマリノGPでのレース中の事故で天に召されました。

ミヒャエル・シューマッハーも来年から過去の人になるようですから,アイルトン・セナはもうとっくの昔に歴史上の人物なのでしょうねえ。

 

雨のF1日本GP

雨の中,鈴鹿での最後のF1日本GPのフリー走行がはじまりました。

雨のF1日本GPと聞いて1976年を思い出す人は,そうとう年期のはいった人だと思います(早い話が年寄り)。珍しもの好きのσ(^^;)はテレビでは見ていたはずですが,当時自動車レースにそれほど興味があったわけではないので,ほとんど記憶にありません。歴史で学んだクチです。

この年はJ.ハント(マクラーレン)と“不死身”のN.ラウダ(フェラーリ)がチャンピオンの座を争っており,ラウダが3点リードして最終戦の日本GP(富士スピードウェイ)を迎えました。

10月24日の決勝レースは雨ともやのため1時間40分遅れのスタート。2周目にラウダが早くもリタイア。「こんな危険な状態の中では走れない」と自らレースを辞めたもので,“勇気あるリタイア”ともいわれていますが,ホントのところはハントの自滅待ちか,この年雨のニュルブルクリンクで瀕死の重傷を負っていたので雨が恐くて逃げ出した……といったところでしょう。まあ,真実を知るのは本人のみ。

レースはM.アンドレッティ(ロータス)が優勝,ハントは3位にはいって4点を獲得し,逆転でチャンピオンになりました。

この日の天気図は次のとおりです。

翌1977年も富士スピードウェイでF1日本GPが開催されましたが,G.ビルヌーブが観客席に突っ込んで2人死亡するという事故が起こったこともあり,日本での次のF1開催まで10年待つことになります。そしてこの事故からちょうど30年の2007年,富士にF1が戻ってくることになっています。

にほんブログ村 環境ブログ 天気・気象学へ
にほんブログ村

えり子と共に

今日の事件から――。

AD1949/10/05 NHK連続放送劇「えり子と共に」放送開始

とあります。この日にはじまり1952年4月3日まで放送されました。あの「君の名は」の前に放送されていたラジオドラマです。

「えり子と共に」は歴史で学んだだけで,どのようなストーリーだったのか,ほとんどわかりません。聞くところによると,「君の名は」のような波瀾万丈の物語ではなく,新しい時代を生きる女性を描いたドラマだったようです。最終回の最後の部分だけ何かの番組で聞いたことがありますが,たしか結婚するところで終わっていました。のちに映画にもなったようですが,ラジオドラマとはちょっとストーリーが違うようです。

ところで,「えり子と共に」自体はほとんど忘れ去られているドラマですが,燦然と輝く挿入歌があります。「雪の降る街を」です。

「えり子と共に」のある回のリハーサル後に,どうやら時間が余りそうだということで,急遽つくられた曲だそうです(作詞:内村直也=原作者,作曲:中田喜直)。どのような場面で流れたのかはわかりませんし(えり子さんがスキーに行くという場面ではなさそうです),誰が歌ったのかもわかりません。しかも1番の歌詞しかありませんでした。

ところが,意外に好評だったため,2番,3番をつけ足して,シャンソン歌手の高英男さんが歌い,1953年2月にNHKの「ラジオ歌謡」として放送されました。

「ラジオ歌謡」というのは“家族みんなで歌えるホームソングをつくる”という意図で1946年5月から1962年3月までNHKラジオで放送された歌です。「雪の降る街を」のほかにも「あざみの歌」「夏の思い出」「白い花の咲く頃」「さくら貝の歌」などなど名曲が目白押しです。なんでも,「お書き取りのご用意はよろしいでしょうか」のアナウンスで演奏がはじまったそうです。最近の「新ラジオ歌謡」にはもちろんこのようなアナウンスはありません。

雪の降る街を」の歌詞は,作詞者の内村直也さんがかつて訪れたことのあるいくつかの雪の降る街をイメージしてつくったもので,特定のモデルはないそうです。

大雨に関する全般気象情報 第1号

 

大雨に関する全般気象情報 第1号
平成18年10月5日16時05分 気象庁予報部発表
(見出し)
 本州南岸の前線の活動が活発になっており、四国沖の低気圧が7日にかけ
て発達しながら東北地方に進む見込みです。このため、東北地方から中国地
方の広い範囲で7日にかけて大雨となるおそれがあります。

だそうです。

続きを読む