ハリケーンパーティー

日本で台風といえばごく一部ではコロッケ祭りが一般的になりつつありますが(ホントか?(爆)),米国にはハリケーンパーティーHurricane Partyの伝統があるそうです。ただし,現在も行なわれているかどうかは知りません。

名前の感じからするとなにやらあやしげなパーティーのようですが,もともとは気象情報も通信手段も未発達な20世紀のはじめごろ,不意打ちのハリケーンが近づいてきた地域の住民が,共同で防災活動をしたり,恐怖をお互いに慰めあったりするために急いで集まったのが起源のようです。

観測技術や予報技術,情報伝達手段の進歩などによって時間的な余裕ができ,また一方で防災のインフラがある程度整備されてくると,自主防災的な集まりだったハリケーンパーティーがドンチャン騒ぎ的な集まりに変わっていくのは当然の成り行きでしょう。なにしろ自分は安全な場所にいて(というあくまで思いこみですが),目の前では自然の一大スペクタクルが展開されるのですから,思いっきり楽しまないという法はありません。どこかの国のバカがつるんで高波見物に行くのとほとんど同じでしょう。こういうときに群れたがるのは本能的なものなのでしょうか。

そして1969年8月17日,カテゴリー5の史上最強クラスのハリケーンCamille (読みはカミーユ? それともカミール?)が近づいている海岸のアパートの3階では,20人がハリケーンパーティーを開いていました。ところが,25フィート(≒7.6m)に達する高潮によってアパートはあえなく倒壊,生存者は1名のみで,他の参加者は海の藻屑と消えました。今流にいえば,文句のつけどころのないDQNなパーティーでしょう。

ところで,ハリケーンパーティーとは違いますが,日本ではかつて水防活動を行なうときに酒樽を用意することがありました(宮村忠『水害――治水と水防の知恵』より)。対岸の堤防が切れたときに祝杯を挙げるためです。非情にも思えますが,自分の集落を守るのが精一杯だった時代にはいたしかたなかった面もあります。

これには次のようなバリエーションがあります。あらかじめ工作員を対岸に派遣しておいて,闇夜に乗じて「対岸が切れた」と叫び,酒樽を開けます。対岸の住民がつられて祝宴がはじまればこっちのもの,水防活動などほったらかしになり,やがて破堤,こっちは助かる……。ただし,工作員が見つかって殺されてしまうこともあったそうです。