鈴鹿のいちばん暑い日

7月29日に第30回鈴鹿8時間耐久ロードレース(通称,8耐)の決勝レースが行なわれます。「鈴鹿のいちばん暑い[熱い]日」といわれ,炎天下で行なわれるレースとして有名です。もちろん“暑い[熱い]”には気象条件以外の意味もあります。

次の表は,第1回から去年までの決勝レース当日の津地方気象台のデータ(最高気温,日中の天気概況。天気概況は1989年以降とそれ以前では表現が違います)と優勝ペアです。このような簡単なデータだけからでも,「鈴鹿のいちばん暑い[熱い]日」にウソがないことがわかります。

年月日 最高℃ 天気概況(日中) 優勝ペア
1 1978/07/30 31.7 クーリー/ボールドウィン
2 1979/07/29 32.0 ハットン/コール
3 1980/07/27 31.6 クーリー/クロスビー
4 1981/07/26 30.7 ボールドウィン/アルダナ
5 1982/08/01 24.3 大雨 飯島茂男/萩原紳治
6 1983/07/31 34.1 モアノー/ユービン
7 1984/07/29 30.8 晴一時雨 ボールドウィン/マーケル
8 1985/07/28 32.4 ガードナー/徳野政樹
9 1986/07/27 30.2 ガードナー/サロン
10 1987/07/26 35.1 ウイマー/マギー
11 1988/07/31 31.0 マギー/レイニー
12 1989/07/30 28.6 曇時々晴 サロン/ビエラ
13 1990/07/29 31.8 晴一時曇 平忠彦/ローソン
14 1991/07/28 29.5 曇一時雨,雷を伴う ガードナー/ドゥーハン
15 1992/07/26 35.9 晴後薄曇 ガードナー/ビーティー
16 1993/07/25 27.6 晴一時曇 ラッセル/スライト
17 1994/07/31 33.8 晴時々曇 ボーレン/スライト
18 1995/07/30 34.6 スライト/岡田忠之
19 1996/07/28 33.5 エドワーズ/芳賀紀行
20 1997/07/27 26.0 雨一時曇 伊藤真一宇川徹
21 1998/07/26 29.5 曇時々晴 伊藤真一宇川徹
22 1999/07/25 31.8 晴後時々雨,雷を伴う 岡田忠之/バロス
23 2000/07/30 32.6 晴一時雨 宇川徹加藤大治郎
24 2001/08/05 31.9 晴一時薄曇 ロッシ/エドワーズ
25 2002/08/04 33.8 曇一時雨 加藤大治郎/エドワーズ
26 2003/08/03 30.4 生見友希雄/鎌田学
27 2004/07/25 31.8 曇一時晴 宇川徹/井筒仁康
28 2005/07/31 29.8 曇一時雨,雷を伴う 清成龍一宇川徹
29 2006/07/30 34.1 辻村猛/伊藤真一

隅田川花火殺人事件

今日,隅田川花火大会昭和記念公園花火大会浦安市納涼花火大会など多くの花火大会が行なわれます。アベとかいう売国奴がよせばいいのに国会を延長した影響で参院選の投票日がずれ込み,この3つの花火大会は荒天中止になってしまっています。

今のところ,にわか雨(雷雨)のおそれがないとはいえないものの,“荒天”になりそうな雰囲気ではないので,おそらく予定どおり開催されるでしょう。

ただ,参院選に関連して次のような迷惑な候補者の出現も予想されているようです。

 参院選の選挙戦最終日の28日に東京都内で開かれる隅田川花火大会の関係者が、各陣営の動向に神経をとがらせている。今回と同じように、大会と選挙戦最終日が重なった6年前には、候補者が花火見物の客に「最後のお願い」を訴えながら交通規制区域内に侵入、大混乱となった。当日は警備員らにプラカードを持たせ、侵入しないよう要請する予定だが、「選挙妨害や参政権の侵害になりかねないので強制できない」と頭を抱えている。

 東京都や墨田区など4区が実行委員会となっている同大会は今年30回目だが、参院選の投開票日の前日に日程が組まれたのは、2001年の24回大会に続き今回が2回目。この時には政党の比例選の公認候補が選挙カーで会場付近に乗りつけ、一時、見物客を巻き込んで大渋滞を引き起こし、会場が騒然とした経緯がある。

 今大会の花火打ち上げ時間は、午後7時10分から同8時半までで、一帯には同9時半まで交通規制が敷かれる。だが、公職選挙法は最終日の午後8時まで選挙カーによる活動を認めているため、90万人超と推定される見物客を当て込んだ陣営が「最後のお願い」の場に選ばないとも限らない。(2007年7月27日19時19分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/election/sangiin2007/news/20070727ic21.htm

当選しそうもない候補ほどやりそうな悪寒……。

ところで,タイトルの隅田川花火殺人事件は,1990年8月6日にTBS系「月曜ドラマスペシャル」で放送されたドラマです。サブタイトルは「15年目に甦る女の過去・母と娘を引き裂く恐ろしい秘密!」。

15年前,避難命令(避難指示?,避難勧告?)のどさくさにまぎれて人を殺してしまったことがそもそもの発端になっているんですが,何の災害なんでしょう? さすがにおぼえていません――というより,その当時はそんなことに関心をもって見てはいませんでした。1990-15=1975年には8月上旬の大雨,中~下旬の台風5号,6号などの災害がありますが,それかどうかわかりません。

もちろん実際に起こった災害とは限りません。とくに,『長崎殺人事件』と長崎豪雨にも書いたように,TBS系のこの時間帯の2時間サスペンスはこの辺の扱いがいい加減なこともありますし……。

“隅田川花火殺人事件”でググっても何もまともにヒットしないところを見ると(この記事がヒットするかも(笑)),最近は再放送されていないようですね。σ(^^;)は10年くらい前に1回だけ再放送を見たことがあります。

昼なお暗き鈴鹿サーキット

お天気サイドから見た8耐としてもっとも興味深い1982年の“6耐”については前々回詳しく(?)取り上げたので,ここでは1991年を取り上げます。

南西諸島付近に台風9号があり,西日本に停滞している前線に向かって湿った空気が流れ込むという状況で,予選が行なわれた土曜日から不安定な天気が続いていました。決勝当日も夜明け前ににわか雨が降り,スタート直前にも雨が降り出すという変わりやすい天気で,全車レインタイヤで水しぶきを上げながらスタートしました。

ちなみに,スタートから1時間30分も前なのであまり参考にはなりませんが,10時現在の鈴鹿サーキットの気象状況は天候くもり,気温26.2℃,湿度75%,気圧1004mb,路面温度31℃でした(BS1の生中継を録画してあるビデオより)。ついでに,津地方気象台発表の三重県北中部の天気予報は「東のち西の風 曇一時雨 所により雷を伴う」でした。

スタート直後に雨が止み,コースはほとんどドライまで回復しましたが,2時間経過したころから再び強い雨が雷を伴って降り出し,2時間半を経過したころには積乱雲におおわれて鈴鹿サーキットは真っ暗になり,真昼にもかかわらず“ライトオン”(ライトを点灯せよ)の指示が出ました。ライトオンは10分ほどで解除されたものの,その後も変わりやすい天気が続き,優勝争いに影響を与えました。

パワーに勝るホンダワークスのガードナー/ドゥーハン組でしたが,ルーチンストップにこだわったためかタイヤ選択がチグハグで,常にヤマハのマギー/チャンドラー組に追いかけられ追い越される展開でした。しかし,145周目に先頭のマギーが逆パンクで転倒し,大勢が決しました。

渡島地方記録的短時間大雨情報 第1号

渡島地方記録的短時間大雨情報 第1号
平成19年7月28日09時28分 函館海洋気象台発表
 09時北海道で記録的短時間大雨
 北斗市南部付近で約110ミリ
 函館市南西部付近で約100ミリ
 北斗市北部付近で約100ミリ
 函館市山間部付近で約90ミリ
 七飯町付近で約90ミリ

1982年の“6耐”と台風10号

1982年の8耐台風10号の接近と,それに伴う雨と風の影響で,大荒れのレースとなりました。

次の表は,津地方気象台の1時間ごとの観測データです。

気温℃ 降水量mm 風速m/s 風向
10 22.7 4 6 ESE
11 22.6 7 4 ENE
12 22.4 6 6 NE
13 22.0 13 5
14 21.6 9 6 NNE
15 21.7 17 6 NNE
16 22.2 11 7 NNE
17 22.0 15 6 NE
18 21.5 13 7
19 21.3 24 8 NNE
20 21.1 30 10 NNE

この表からもある程度わかるとおり,レースが進むにつれて風雨ともに激しさが増したため,レースは6時間に短縮されました。

この最悪のコンディションの中,まずトップに立ったのはなんと阿部/和歌山のヤマハのテストライダーペア。続いてトップを奪ったのは伊藤/吉村のホンダの社員コンビ。このようにコースを知りつくしているプライベートの日本人チームが上位を走行しているのに対し,上位を争うと見られていたワークスチームは,マシンのあり余るパワーを悪コンディションに封殺され,スピンやマシントラブルが続発。無理をしないということもあったのでしょうが,早々と姿を消しました。

結局,ホンダの社員チーム,ブルーヘルメットMSCの飯島/萩原組,伊藤/吉村組が1位,2位を占め,日本人ペア初の優勝となりました。

大荒れの8耐を演出した台風10号は,翌2日未明に渥美半島に上陸,中部,北陸を通過して日本海に抜けました。

この台風と梅雨前線により,紀伊半島から東海地方,関東地方の山間部を中心に大雨となりました。7月31日~8月3日の降水量は,奈良県の日出岳で1078mmを観測したのをはじめ,紀伊半島東部と静岡・山梨の山岳部で600mm超,関東地方の山間部でも400mmを超えたところがありました。

この大雨による被害は死亡・不明95,負傷174など。富士川にかかる東海道本線下り線の鉄橋が水量を増した濁流に流されました。

その後,台風に引きずられるような形で梅雨前線が北上し,2日,関東甲信地方に梅雨明けが発表されました。それまで梅雨明けがもっとも遅かった1971年の7月29日を4日更新したことになります。

この梅雨明けはのちに8月4日に修正され,今でも関東甲信地方の梅雨明けの最晩日になっています(梅雨明けを特定できなかった1993年を除く)。