AD1953/06/04 中央気象台,台風の名前を英語圏外国人女性名から発生順位番号に変更
敗戦後それまではカスリーン,アイオン,キティ,ジェーン,ルースなどの名前の台風が新聞紙上を賑わせていましたが(ただし,カタカナは統一されていたわけではないので,キャスリーン,キッティなどと表わされることもあった),これ以降,“台風××号”一色に染まることになります。
同時に,それまで“弱い熱帯低気圧”,“熱帯性低気圧”,“台風”の3段階だった熱帯低気圧のクラス分けが,“弱い熱帯低気圧”と“台風”の2段階に変更されました。
ちなみに,現在では“弱い熱帯低気圧”は“熱帯低気圧”に変更になり,たんに熱帯低気圧というとき,一般的な熱帯低気圧のことなのか,以前の“弱い熱帯低気圧”のことなのか,まぎらわしくなっています。σ(^^)などは以前の“弱い熱帯低気圧”を“ただの熱帯低気圧”とか“ノーブランドの熱帯低気圧”とかいっています。σ(^^)など公人でもなんでもないので,何とよぼうとσ(^^)の勝手ですが(笑)
さて,番号台風の第1号となったのは1953年の2号でした。1号でなかったのは,1号は2月にすでに発生していたからです。
この台風は5月29日09時に“弱い熱帯低気圧”として発生,同日15時に台風になりました(名称変更前なので,この当時はまだ2号ではなかった。ちなみに女性名はJUDY)。その後,ルソン島に上陸,先島諸島付近を通って東シナ海に進み,6月7日09時過ぎ八代湾から九州の北西部に上陸しました。1953年6月7日付読売新聞夕刊の見出しから:
この台風で,死・不明53,負傷53,家屋全壊98,同半壊103,流失98,浸水27850などの被害が出ました。
ここで上の見出しの「台風第二号」に注目。気象庁では現在でも例えば「台風第5号に関する情報」のように“台風第××号”と必ず“第”をつけていますが,マスコミではNHKを筆頭に“第”をつけていません。でも,1953年当時はこのように少なくとも新聞では“第”をつけていたのです。次第に“第”をつけなくなり,この年の9月には台風××号が定着するようになります。理由はわかりません。
女性名は日本国内では使われなくなりましたが,米国では使われ続けていて,気象庁も海外に台風情報を発信するときはこの女性名も記載していました。
ところが,台風とは比べものにならない異次元(ヤプールか(笑))の恐ろしさを持つ女性団体の圧力で,1979年の台風3号から男女名が交互に使われるようになりました。その後,2000年からはわけのわからないアジア名が使われるようになって現在に至っています。